人生について

昭恵夫人への服装批判から人間の闇を感じた話。いじめられる方が悪いという潜在意識

日本人の闇の画像

先日、天皇陛下の即位礼が大変話題になりました。

新天皇が即位されるという数十年に1度の一大行事で、各国からも多くの来賓がいらっしゃいました。

そんな晴れやかな儀式ですが、Twitterのあるユーザーが昭恵夫人の服装に言及し、それが大きな波紋を呼んでいます。

 

こちらがTwitterで言及されている昭恵夫人の服装。

Twitter上では「素晴らしいドレスを着た人たちの中で、1人ワンピースを着てきて穴があったら入りたいレベル」という言葉と共にこの画像が投稿されました。

数十年に一度の、しかも日本を代表する天皇陛下の即位の礼でこんなに膝を出した服装はけしからん、というのが話題になっているんですね。

 

このドレスのどこが問題なのか

なぜこのドレスが問題になっているかをみなさまのツイートを分析し考えてみました。

  • 単純にデザインがださい
  • 皇后と同じ白の服を着るなんて失礼
  • このドレスは以前に一度別の場所で着ており、厳かな儀式なのに着まわしなんて失礼
  • おばさんの膝丈スカートなんてみたくない
  • ドレスコードに外れている

主に言及されている問題点は以上の通りのようですね。

たしかにそうだねと思える理由もあれば、さすがにいいがかりでは…と思えるような理由もあります。

 

 いじめられる方が悪いという潜在意識

このツイートには多くの賛同者がおり、1万ほどのリツイート、そして3万近くのいいねがついています。

いいねの他にも「昭恵夫人やっちまったな」「日本の恥、こんな人が総理夫人なんて」といった批判のツイートが多く寄せられています

また、Twitter以外の某巨大女性専用掲示板や、〇〇chでも批判が殺到している。

 

ブログ筆者には昭恵夫人の服装批判が、学生時代に教室で定期的に勃発していたいじめの構図に見えてしかたがないのです。

 

いじめのリーダーがいて、周り囃し立てるにがやがいて、私のようにいじめられている人物を放っておけない人物がいて…やっぱり教室で起きるいじめの構図じゃない??

 

確かに、ブログ筆者も彼女の服装については「なんか変な服装だな…」という感想を持っています。ハリウッドセレブがなんとかアカデミー賞授賞式に着てきそうな服装で、いくら権力者とはいえモデル以外が着こなせるような服ではないとも感じます。

 

しかしここまで叩くというのは如何なものでしょう?

 

私はここに「いじめられる方が悪い」という日本人の潜在意識を感じました。

彼女の服装を批判している人たちのなかで本気でこの事に対して「日本人としての恥」と思っている人はどれくらいいるのでしょうか。

本気で「日本人として恥だ。もう明日から外国の方々に顔向けできない」とか「こんな恥をかかせやがって、明日から日本人としてどうやって生きていこう」と悩んでいる人は恐らく少数だと思います。そういう人たちにはむしろ気が済むまで彼女を批判してほしいです。。

恐らく多くの人は発端となったツイートを見て「確かに変な格好だな」と感化されたり「なんか変だと思ってたんだよね」と、他にも批判している人がいるならこの流れにのって一緒に批判ておこうという人ばかりではないでしょうか?

 

勘違いしてほしくないのは私は別に彼女の服装を擁護しているわけではありません。

現に中国のメディアの一部にも「安倍昭恵の服装は膝が見えていて式にふさわしくない」と書かれてしまっていますし、彼女の服装が今回少し微妙だったのは否めません。

 

しかし、相手の落ち度やミスを責め立て、辱しめる材料にする…というのはまた別問題ではないのでしょうか。

こんなことを言うと、またまた批判したい人たちから”昭恵夫人はただの一般人じゃない”とか、”国のもっとも権威のある儀式は別問題”という反論がきそうですが…

これってつまり、正義を振りかざして人を追い詰めることを正当化させようとしているにすぎません。

最近はこうやって正義をかざして相手を追い詰めるというやり方が多くなってきているような…

 

結局いじめられる人って、ある程度いじめられるほうに原因があるんです。

私も小学生のころいじめられていましたが、いじめられていた理由は「くさいから」とか「おどおどしているから」とかそんなところでしょう。

当時の私は必要以上に人に気を遣い、親の軽い育児放棄からお風呂に入っていなかったりしたので、正直いじめられてもおかしくない状態です。そして、いじめられてもしょうがないという自覚も子供心にありました。

じゃあ臭くておどおどしてるからって私をいじめていいのだろうか?

多分小学校では、私がいくらへんな子どもでも、先生たちは表面上は「いじめはだめ。みんなで仲良くしましょう」と言うに違いありません。(ほとんどの場合根本的な解決はできませんが)

そうです。現代の倫理的には、たとえ相手に落ち度があったとしてもいじめる方が悪いとされています。

 

今回話題になっている昭恵夫人も、空気が読めないという批判される原因を自ら作ってしまっています。だから批判が止まりません。

 

しかし、相手に問題があるからと言って貶めていいという理由にはなりません。

例え一般人じゃなかったり、こういった厳かな儀式の場面で空気が読めないことをしてしまっても、貶める必要はどこにもないのです。

まぁ…こういうとまた「ただアドバイスしてあげてるだけ」とかいう心無い反応もきそうですがね。

これって「あたし嘘つけない性格なんだよね」という名のただの「気が遣えない人」です。

 

批判する側にも色んな言い分もありますが、私にはどうしても彼女を攻撃することで憂さ晴らししているとしか思えない。

天皇陛下即位の式典でふさわしくない服装をしていたというとても素敵な大義名分があるので、貶め放題です。

 

結局、彼女を批判することに何の罪悪感も感じないむしろ当たり前だと思っている空気を読めないことをしたほうが悪いと思っている方たちは、「いじめられる方が悪い」を容認していることに他なりません。

 

人間も所詮はどうぶつで「いじめられる方が悪い」という本能から逃げることができないのだなということを今回のことで改めて思い知りました。

人間たちは文明社会でどんどんストレスがたまっているのか、それともこれが人間の性なのか

きっと、批判していた人たちは誰も本当の意味で「恥ずかしい」とか「外国に顔向けできない」とは思っていないんですよね。

恐らく彼女の服装を批判していた人たちも3日もすれば記憶から薄れ3ヶ月もすれば「そんなことあったね」と日常生活の彼方に消えていくのでしょう。